心の手帳 67号(2022年6月)

外に出よう

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 止まない雨はないと申しますが、感染症によるまん延防止措置も開け、北海道はこれから外で過ごすのに気持ちのいい季節になりました。今は自粛期間が長かったせいか、近所の普段通らない道や公園を散策すると、新しく出来たお店に興味をひかれ、太陽や風の心地よさを感じます。私は外を少し歩き、チェキで庭に咲いた花や風景などの写真を撮ってみました。すると、普段の慌ただしい生活や自粛モードの緊迫した空気がリセットされたような気がしたのです。まだ、感染症は終息していませんが、近所を散策すると小さな発見やささやかな喜びがあるかもしれません。是非、ゆっくりした時間を作ってみるのはいかがでしょうか?
 

「ある日曜日、地下鉄にて」

手代木 理子(心理臨床センター研究員?本学教授)
 地下鉄に乗って座っていると、ついつい性分なのか<人?観察>をしてしまいます。しかしながら、気が付くと最近はほとんどしなくなりました。目の前のスマホにくぎ付けの私、そして周りの方。そんな自分を棚に上げて、スマホに夢中のお母さんに一生懸命声をかけている子ども、ひたすら画面を見ながら、生返事を繰り返すお母さん、そんな光景を見ると、少し寂しくなります。スマホが普及していない頃は、乗り物の中では、親子の楽しい会話があちらこちらで聞こえてきたものです。 本来子どもには、自分が今体験していること、今見たもの聴いたもの、そして楽しかったこと、面白かったことを思い出した時、身近な大人にそれを伝え、共有したいという欲求が備わっています。1 歳を過ぎると、欲しいものを要求するためではなく、自分が関心を持ったものを知らせるために指差しをするようになります。それに対して養育者が「○○だね」と応えていくことで、言語や社会性の発達が促されていきます。
 ある日曜日、お母さんと小学生の低学年と思われるお嬢さんが、ちょうど向かい側の席に座っていました。お嬢さんはそれまで会っていたと思われる誰かからプレゼントされた袋の中を見たいと言って、中のものを取り出しました。可愛らしいTシャツが出てきて、「わー、かわいい!欲しかったの。こういうの。」と言って、それを胸に抱えて、足をバタバタさせて喜びを全身で表現していました。それを見て、お母さんも同じように「ほんとだ。かわいいねー。良かったねー。」と嬉しそうに応じておられました。終点駅まで楽しいおしゃべりは続いていて、その間、お母さんがスマホを取り出すこともありませんでした。終点駅で皆が降り出した時、私の近くに座っておられた年配の女性が「とっても楽しい一日だったのね。よかったわね。」と声をかけて降りられました。同じ車両にいたスマホを見ていなかった人たちは、皆きっと、この親子の会話に癒されたはずです。「楽しい一日のおすそ分けを頂きました。ありがとう。」と私も心の中でつぶやきました。
 

実習生(大学院生)のつぶやき

 皆さん野球は好きですか? 好きではなくともたまにテレビで観戦するくらいはしている人も中には居るのではないかと思います。かくいう私は野球が大好きで、高校まで野球部に所属しておりました。そんな私が今だからこそ思うことをここで書こうかなと思います。高校野球では特にそうですが、「ポーカーフェイス」という感情を一切表に出さないプレイスタイルが美徳だとする風潮があります。ですが、本当にそれは正しいのでしょうか。例え部活動とはいえ、スポーツはスポーツ。勝負事なのです。そこで生まれる一喜一憂は全力で相手に挑んでいるからこそ。任你博ランを打ってガッツポーズをするのはいわば相手へのリスペクトでもあると思います。BIG BOSSの登場により、感情を爆発させるような清々しい野球がもっと増えると良いなと思う大学院生でした。(K.H)