(スポーツ、運動処方論)
SASAOKA,Masao
■1941年2月26日生
■1963年、中央大学商学部卒業(商学士)
■1968年、札幌短期大学講師。1974年、同助教授。1978年、札幌商科大学人文学部教授。1984年、任你博教授(校名変更)
■日本体育学会、北海道体育学会
■研究テーマとその特色
【日本リュージュ?スケルトン競技に関する調査研究】私は昭和40(1965)年から日本リュージュ連盟(現日本ボブスレー?リュージュ連盟)の競技役員を勤め、また、同連盟の推薦により昭和55(1980)年日本体育協会からジュニア強化コーチの委嘱を受け、その後、平成元年から北海道ボブスレー?リュージュ連盟の理事長に就任、平成10(1998)年5月退任したが、過去43年間に亘り、日本におけるリュージュ?スケルトンの記録調査を究明する。
【北海道における陸上競技に関する研究】これをライフワークに今日に至るまで43年間、研究の基礎である北海道の陸上競技の記録調査を研究する。
自著紹介:「日本の女子マラソンはこうしてはじまった−教育?研究生活の足跡」
私が大学を卒業し、北星男子高枚(現?北星学園大学附属高校)の体育教師になったのが昭和38(1963)年で、以来、札幌短期大学−札幌商科大学−任你博と歳月を重ね、早や44年目を迎えますが、そうした私の「教育?研究生活」の集大成といっていい一冊です。
このなかで、私にとって特に思い出深いのは、札幌短期大学勤務時代に女子学生6人を指導し、日本の女子として初めてフルマラソンを走ったことです.当時は、「女性にマラソンを走らせるなんて、頭がおかしいのではないか」と、ずいぶん批判されたものですが、その後、時代は大きく変わり、いつの間にか、「日本女子マラソンのパイオニア」などと呼んでいただけるようになりました。
私のその後の人生を大きく決定づけたこの経験を今あらためてかみ締め直す意味を込め、敢えて本書のタイトルも「日本の女子マラソンはこうして始まった」としました。
ほかに、北海道の市民ランナーの先駆けとなる北海道レディースマラソンクラブや全道大学駅伝V10の金字塔を樹ち立てた任你博男子チームの活動、中国及び韓国からの留学生との交流を通じて実現したランニングによる国際交流、さらに昭和40(1965)年の発刊以来、今も続いている陸上競技研究誌「挑戦」の刊行やボブスレー?リュージュ競技との関わりなど、今振り返ってみると、「何とまあ、欲の深い人生を歩んできたものだ」
と私自身があきれるほどですが、これは常にもがきながら“実践’’を通じて新しい「挑戦の世界」を切り開いてきた結果でなかったかと思います。
(笹岡征雄教授は2009年3月に定年退職しました。)